2019年4月に中公新書ラクレから
『教育激変 2020年、大学入試と
学習指導要領大改革のゆくえ』
池上彰・佐藤優共著が出版されました。
その中で、
ドキリとする文章がありました。
今の受験システム、受験産業の盲点について
ズバリと指摘していました。
このままでは
人口がどんどん減っていく日本において、
有用な人材を確実に排出できる
教育システムが求められています。
様々な教育改革が
これから目白押しにやってきます。
それらの改革に期待するとともに、
これからの時代を迎える親自身の意識も
変えていかなくてはなりません。
今回は、それをじっくり考えていく上で
必要な内容についての一部を
引用させていただきます。
「受験刑務所」は知を育むか
(第1章「日本の”病”を進行させた教育の歪」
の第1項)
池上
私は、今、
東京工業大学で教えているのですが、
いろんな意味で深刻だと思うのは、
入ってくるのが圧倒的に
首都圏の中高一貫私立校出身者で、
地方の公立校の人間が
非常に少ないことなんですよ。
状況は、東京大学でも
一橋大学のような大学でも同じでしょう。
佐藤
学生たちが均質化している。
池上
そうです。彼や彼女たちは、
基本的に恵まれた環境に育ち、
子どもの頃から塾通いをし、
偏差値の高い私立学校で学び、
ずっと同種の人間たちばかりの
コミュニティーで育ってきました。
頭はいいし性格も悪くないのだけれど、
視野が狭い。
難しい方程式を
スラスラ解くことはできるのに、
今世の中がどうなっているのかと
いうようなことになると、
全然知識がないのです。
かつての東大には、
地方の公立高校出身者が多数いて、
野武士のような若者たちが
梁山泊を形成して、天下国家についても
侃々諤々やったわけでしょう。
今は、そんな雰囲気は
まったくありません。
佐藤
それに比べれば、
私が同志社大学の神学部で
教えている学生たちは、
同質的ではありません。
池上
同志社の神学部に行こうと
いうのですからね。
それは個性的なんじゃないでしょうか。
佐藤
確かに個性的です。
偏差値70超の高校出身者が
時々いるんですよ。
受験競争を避けて神学部に来て、
奇をてらってイスラムを専攻する。
イスラムを専攻するのはいいのだけれど、
動機が不鮮明だから、
勉強に打ち込むことができず
結局貴重な時間をロスしてしまう。
一番教えがいのあるのは、
偏差値が65くらいで、
ちゃんと目的を持って入ってくる人で、
そういう学生はとても伸びますよね。
やはり、目的を持って
大学に入ってくるというのは、
とても大事なのです。
池上
ただ、残念ながら、
現実にはそんな学生は少数派でしょう。
佐藤
全体から見れば少数派です。
多くの学生が大学で学ぶ目的を
持てないでいる最大の要因は、
やはり偏差値の「いい大学」に
入ることのみを目的にした、
行き過ぎた受験勉強にあると
言わざるをえません。
有名大学への合格者数を競うような
私学や受験産業のゴールは、
とにかく東大に合格させる、
早慶(早稲田大学、慶應義塾大学)に
合格させることで、
大学に入ってからの接続など
何も考慮されてはいない。
だから、ゴールを達成してみたら、
そこで何をしたらいいのかが
分からなくなってしまうのです。
池上
そういう過程をたどって、
成績さえ良ければ、
偏差値さえ高ければ
ある程度のことは許される、
という思い違いがどんどん増幅されて
いくわけですね。
佐藤
中高の教育に関して言えば、
教科書を見る限り、
その内容がきちんと頭に入るのなら、
日本の教育は決して劣っている
わけではないと思うのです。
ところが、偏差値至上主義の蔓延が、
中高生から学ぶ喜びを奪い、
学年が上がるにつれて
勉強嫌いが増えるような状況を
生んでいるわけです。
池上
どんなにいい教科書があっても、
学びの場から
半ばドロップアウトしてしまっては、
意味がありません。
佐藤
ドロップアウトしなければOKかといえば、
話してきたように、そうではない。
一番顕著なのは、新興の学校で、
きめ細かな受験指導を売りに
東大や医学部の合格者を
急速に伸ばしたようなところで、
誤解を恐れずに言えば、
『受験刑務所化』していますよね。
だから、合格したとたん、
学生は「刑期明け」みたいな感じに
なっている。
池上
ようやく娑婆に出られた(笑)
佐藤
そういう高校から東大に行っても、
早慶に行っても、
その後活躍する人間は
あんまりいない気がします。
池上
今では東大合格者数トップクラスに
なっているある学校は、
偏差値レベルで言えば、
かつてはまったく鳴かず飛ばずだった。
なんとかしてもらいたいという
使命を帯びて着任した校長が、
定員割れを覚悟して
合格ラインを上げたんですね。
経営的には厳しかったのだけれど、
我慢して3年続けたら、
「あそこはこのレベルの子どもが
行く学校だ」と、
予備校が勝手に「評価」してくれて、
自動的に偏差値が
右肩上がりになったのです。
ちなみにその校長先生は、
かつて「生徒は馬、教師は調教師」と
おっしゃっていました。
佐藤
日本の教育が大変になっているのは
確かなのだけれども、かといって
「総崩れ」になっているわけではない。
そこも正確に見ながら
必要な改革を進めていくことが
大事だと考えます。(終わり)
この中で気になるのは、
「視野が狭い」ということです。
以前に、
当時一橋大学教授であった中谷氏が、
「入学してくる学生の視点が、
自分の身の回り半径10メートル以内の
ことにしか興味がないので話が通じない。
だから、学生たちを教室から引っ張り出し、
国立の街を歩かせて、
何が今起こっているのかを気づかせる
といったことをしている」
というのを読んだことがありますが、
誠に情けない状態です。
日本の人口は、2050年には
現在の1億2600万人から
4分の3の9700万人になり、
全国の6割以上の地域で
人口が2010年時点の半分になると
言われています。
現在日本のGDPの順位は
中国、米国、インドに続き4位ですが、
2050年のGDPの順位は、
中国、インド、米国、インドネシア、
ブラジル、メキシコ、日本と7位になると
言われています。
今こそ、あらゆる新発想をもとに、
世界を席巻できる
様々なビジネスフォーマットを
作り出すことによって、
日本が生き残ることができるのです。
まさに、
日本の高度経済成長の時代には
有効であったであろう
保身術の延長が今でも続き、
それを親子で実践しているような状況です。
ある経済学者は、
これからの時代を生き抜くには、
「すべての人が芸術家となれ」
と言っています。
それくらい創造性や奇抜なアイデアを
時代は必要としているのです。
まずは、視野を広げて、長期的な視点で
物事をとらえていきましょう。
へーグルは、
このような視点で物事をとらえ、
その子にとっての最善は何か
ということから考え始めます。
それを実践したOBOGとそのご父母の方々が、
先日集まってくれました。
それぞれの個性を発揮して、
受験産業と距離を置き、
のびのびと生きている卒業生たちの状況を
次回はお知らせしたいと思っています。